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生命・愛・死。一貫したテーマによって三輪龍作の芸術は生き続けている。東京芸術大学大学院陶芸科の卒業制作である処女作「ハイヒール」を世に送り出したのは昭和四十二年であるが、その優雅なエロティシズムを漂わせた作品は三輪龍作の根幹であり、現在に至るまで形態を変えながらも首尾一貫した思想を貫いている。
昭和十五年、十一代休雪の長男として生まれる。青春時代は、画家を志望、ムンクや太宰、谷崎の文学に惹かれる。東京芸術大学彫刻科に籍を置き、同大学院陶芸科を専攻し、卒業制作で陶芸専攻であるがゆえ「仕方なく土に向かって」ハイヒールを制作した。各部を轆轤で成形し、繋ぎ合わせ、わら灰釉や低火度釉を施して焼成したものだが、その形態から容易に女性の足を連想させる。この都会的で優雅なエロティシズムに満ち溢れた作品がその後の制作の方向性の大半を決定付けた。
その翌年から「優雅な欲望展」「愛液展」「アムール展」「人間シリーズ」といわゆるオブジェの制作を続けた。この一連の活動では、時にはエロティシズム に、時には苦悩に悶え苦しみながら抽象的な自己の内面を造形化することにより、青春の情念をストレートに表現した。昭和五十四年、宇部市で開催された現代日本彫刻展に出品した「古代の人(王墓・王妃墓)」では、白骨化した作者夫婦の棺桶が何千年か後に発掘されたという構想だが、そこに死に対する苦悩と崩壊感を謡い、一連のシリーズを完結させた。
初の茶陶「初咲展」を昭和五十六年に発表。「今までは機能性のない純粋オブジェだったが、これからは使おうと思えば茶室でも使えるオブジェである。つまり私は茶道具であることが目的ではく、あくまでも私の分身を創るのが、目的である。その時私は、世界にも稀有な茶の美学に則りたい。」と語るように「茶碗(茶陶)もオブジェ」であり、茶陶とは、茶道具ではなく一つの生命を持った作品であることを体現した。
初咲碗
誰もが伝統のある三輪家の次代の担い手として方向性を決定付けられたと思った。しかし翌五十七年から「黒の風景」「白嶺」「天・地・人」とオブジェを発表、生と死の境を漂う観念と造形を一体化した。
また、昭和五十七年、山口県立美術館「今、土と炎でなにが可能か」展、六十三年、彩陶庵「新愛液展氈vに於いて、アンファイヤー(焼成をしない生土による造形作品)を試みている。生土数トンを会場に持ち込み、成形するものであるが、「やきものは単に粘土を熱処理し、他の物質に変えたものではない。」と語るように、陶芸の本質を見極める行為としての一環であり、土の持つエネルギーや生命感を体得した作品である。
その同年、六十三年から金彩、黒陶を施した「卑弥呼シリーズ」を展開する。「卑弥呼」「卑弥呼山」「卑弥呼の書」と続き、平成四年にシリーズの完「続・卑弥呼の書」では、その壮大なスケールに見る者を圧倒し、古代の幻想的な歴史を雄大に物語った。
卑弥呼の書
平成五年には昭和五十八年の「萩風」に続く十年振り、三度目の茶陶「崖花」を発表している。ここでも「茶室に於いて最も生命力を発揮するやきものこそが茶陶である。そしてその生き方は茶の湯を通して全く自由である。」と、水指の角を面取りした壁面の麓に一輪の花が造形され、窯変がなまめかしく、一層エロティシズムを醸し出している。
新たなシリーズとして、平成7年には「黒陶 騎士の休息」「白雲現龍器」を発表、アンモナイトを想起させるその形態、想像の生物である龍をモチーフとした壮大な器物は、卑弥呼から続く古代の幻想がさらに太古の時代へと遡り深化していくようだ。
このように三輪龍作は、一人の作家として確立すべく「陶芸家である前に一人の人間でありたい」として、自己の内面の混沌とした抽象的なものを造形化することによって人類に関わる重要なテーマとして「生や死、愛やエロス」を具現化している。
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