萩焼入門第2部/作家名鑑 第1回

文:白田 豊

三輪 寿雪・MIWA JUSETSU

十一代三輪休雪


 現代の萩焼の頂点に立つ第十一代三輪休雪(本名・節夫)は、明治四十三年、旧萩藩御用窯である三輪家、九代雪堂の三男として生まれた。昭和二年旧制萩中学を卒業すると兄の休和(十代休雪)に師事し、陶芸への第一歩を踏んだ。父の雪堂が隠居し、休和が三十二才の若さで三輪窯十代を襲名した年である。

 やきものの修行は「土練り三年、轆轤十年」などと云われるが、休雪の場合、昭和三十年に雅号を「休」と称するまでおよそ三十年もの間、ひたすら休和に師事している。召集令が出された昭和十九年の一年間を除き一時も土から離れる事がなかった。

 昭和三十二年、日本伝統工芸展に「組皿」を初出品、初入選、三十五年には日本工芸会正会員となっている。休時代は、萩焼の歴史上ほとんど類を見ない「角物」と呼ばれる量塊の立体成形(くり抜き技法)を試みている。四方鉢、角物蓋物、四方花入、四方水指など、休雪陶の原点を見ることができる。その代表作といわれる手桶花入は、土の塊をさび刀で面取りし、その切り口の土のささくれをそのまま残し、土の持つ生命感を大胆に表現した。長男の龍作は「親父という作家は、細胞分裂が一番活発な休の時代にできた。その延長線上に今日の親父がいる。休の作品は、前衛的とは云えないが、斬新であり、僕も手桶花入に影響を受けた。」と語る。

 昭和四十二年に十代休雪が隠居、休和と号し、十一代休雪を襲名、三輪窯を継いだ。四十七年に日本工芸会理事、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。また、山口県立美術館の顧問、山口県主催「伝統の萩焼と高麗茶碗・古萩名品展」の実行委員、山口県立美術館主催「古萩・その源流と周辺展」「三輪休和展」の指導委員を務めるなど、創作以外の活動に於いても寸暇を惜しまず、広く且つ深く萩焼に対して多くの功績を残している。

 昭和五十一年に紫綬褒賞、五十七年に勲四等瑞宝賞を受賞、五十八年には、重要無形文化財萩焼保持者に認定された。陶芸界で前例を見ない兄弟人間国宝という快挙を成し遂げた。認定の理由には、「休雪白と呼ばれる藁灰釉を用いた純白の色調と、新鮮な造形感覚で、茶陶の世界に新風をもたらした。近年は赤っぽい仕上がりの紅萩手に独特の境地を示している。」とある。

 休雪白は周知の如く、十代休雪が探求し、十一代休雪が完成したといわれる藁灰釉で俗に「休雪白」と呼ばれている。従来の白釉にどことなく冷たさを感じ、ほのぼのとした暖かみを吹き込み、春の雪のような美しさを求めたものである。

 近年の秀作である鬼萩茶碗が制作されるようになるのは、昭和六十年頃から。粗めの小石まじりの胎土で造形、轆轤で水挽きをする際に掌や指に血がにじむほどの粗い素地を用いる。これに休雪白をずぶ掛けして釉薬が縮れ、素地の粗めの土と相俟って、凛とした「休雪様式」が確立している。

鬼萩茶碗

 今ではほとんどの作家が土練機にたよる粘土作りを現在でも自ら土踏みをこなす。全てを自分でやらなければ気が済まない気性は、全く妥協を許さない真摯な造形思想によるものである。

 「茶碗の高台というものは、轆轤の上で不必要な土を沢山つけて、カンナで高台をグルグル削り出したものというのは、どうしても調子のいいものはできない。轆轤だけで大半だいたいの姿ができて、ちょっと一カンナ入れてそれで高台がおさまるという具合に。」と語るように、休雪の造形は六十余年に及ぶ修行の成せる業である。

 三輪窯の歴史は、初代及び四代が藩の御用焼物師の数ある者の中から一人選抜されて、京都「楽焼」の習得に命ぜられ、萩焼の和風化を注入した萩焼の歴史上画期的な存在である。十一代休雪も萩の伝統的な素材や技法を忠実に守り、綿々と受け継がれてきた三輪家の伝統を受け継ぎ、天性といえる造形感覚を以って「休雪様式」を確立、茶陶或いは萩焼、陶芸の世界に新風を送り、伝統を現代に生かし続けている。