作品「新聞と自画像」
私は新聞紙の第一面の上に鉛筆で毎日自画像を描いています。新聞はこの世の出来事を日々映し出す鏡です。その鏡に映る自分を描いているのです。
人類は物をどんどん生産し、どんどん捨てていく、そして忘れていく。それが明日を迎えるための術であるから。
私はこの「新聞と自画像」を50年後の人々に見てもらいたい。50年前はこんな時代だったのかと、きっと興味をもってもらえるだろう。
しかし、100年後はどうだろう。何と書いてあるか判るだろうか、今の私達は100年前の新聞や書き物をすらすらと読み、理解することができるだろうか。この世は諸行無常、争(あらが)うことの出来ない運命、戻すことの出来ない時間なのです。
私達は未知なる地球の内部と、大宇宙の狭間の薄い地表に生きている。それは人間の身体が皮膚一枚の内側と外側とに大宇宙があるように。
私は自分の手で皮膚を撫でたり、手のひらをじっと見つめていると、この世のすべてが悟れるのではないかと錯覚するのです。
もう一つの作品「ケシ」
私は山口市郊外の田舎に暮らし、周辺に咲く花を色鉛筆で描いています。このケシは休耕地に植えられたもので、一面に咲くケシ畑はこの世のものとは思えません。まるで浄土のようです。永遠に生を繰り返す花の世界なのです。
新聞と自画像は、現実の日々。花の世界は未知なる浄土。私は「この世」と「あの世」を鉛筆で描いているのです。鉛筆をカッターナイフで削り芯を尖らせていく度に、鉛筆の命が削られていき、その命が紙に塗り込まれていくのです。 |