細くしなやかなかたちに被われた四畳半。ここには、萌芽から枯橋にいたるまでの、移りゆく植物の生態が、ひそやかに繰り広げられています。しかもそれらは、そこに届く光量の多寡に応じた生育ぶりをみせて、室奥の青黒い肌合いのものから斜光を浴びて枇杷色に輝くものまで、じつに微妙な明暗のグラデーションを纏って繁茂し、茶室内を穏やかなモノトーンの世界に染め上げています。
萩焼の土と釉でつくられたこれらのかたちの一つ一つは、そのほとんどが花弁や花穂をおもわせる片々や膨らみを先端部にもたげています。しかしよく観ると、いずれも葉のない茎状に象られ、まるで花時のヒガンバナか、スギナの胞子茎であるツクシから袴を取り去ったような姿のものばかりです。そして、皆どことなくうつろな気色をただよわせているように感じられます。
これらの花茎を畳から実生したように配したことだけでなく、個別の生長度合いを示す態様をかたちの集合として仮設(インスタレーション)することによって、作家は現実にはありえない擬似的な自然景をここに構築してしまいました。
この奇妙な光景へと茶室空間を遷移させたことについて、作家は、茶会という特定の行為から生じる「雰囲気=大気」に着想を得て、茶室という空間のもつ「雰囲気=気分」を造形的にアプローチしようと試みた結果だと述べています。
観る者と作り手の間にわずかな距離をつくり、精神性の根幹にある生命観の複雑さを遠慮がちにたどるまどろっこしい表現手法のようですが、ここでは特定の場所や空間に堆積した計り知れない想念を丁寧に紐解こうとする、繊細でありながらも包括的で野心的な表現意志が窺えます。
野辺に繰り広げられる植生の栄枯盛衰は、特別な場所に建立される一座なるものの性格と、そこに寄り合った個人の境涯との逢着が、堆積した時間の重みとともに想い起こされる光景なのです。
それは、俗界の塵埃から離れて存在する茶室に籠もる、大気中の水分である湿気というものを伝手に、そこで催された茶会という行為に凝縮される人の生をイメージしようとする企てであり、点前で生じる湯気や参会した客人の吐息という、行為の必然としての温もりある湿気、つまり人が活動したがゆえに残った水蒸気の凝りを、畳から生長する植生のかたちにこと寄せて表示したのです。
作家は常態なき人の一生の多様さを植物の生長に仮託する手法で見つめ直そうとしました。茶室に配置された、陰生植物の群叢を連想させるこれら陶造形のインスタレーションは、物言わぬ営みのうちに潜む強靭な生命力へ心を通わせることをわれわれに促しているように思えてなりません。
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