私は新しいかたちを生み出したい。それはただ純粋にこの世にない過去にはないかたちを造りだしたいということ、造形という言葉どおりのことがしたいのです。そのためになにをすればよいかを最優先に考え今の手法を選び、このかたちになっています。
本当に独自のかたちであるのかということはともかく、気持ちの上ではなにものでもない私のかたちなのです。このように表明すると、すべてわが身から出たものと思われそうですが、素材やそれを活かす手法が偶然生み出すかたちから自分にはないものを得て、次作に発展することを積極的に行いますので、新しいかたちを生み出す協力者として素材や制作手法の存在があるといえます。素材とはうるしの事、手法とは漆芸のことです。うるしも漆芸もとてもたくさんの表情や世界があり、面白いことであふれています。
生物の進化を表す図に系統樹というものがありますが、美術の中に当てはめて考えることがあります。もし大きな変革期の、たとえば写真が発明されなければどう違ったのだろうかと想像するのも面白く、そのように考えて創作部分を加え系統樹を考え直すと、求めている新しいかたちが得られるのではと思っています。
私がうるしとそれを生かす技術を使って作品を作るのは、過去栄えていつのまにか伝統という歴史に縛られてきたと感じる漆芸を、系統樹の技の先からさかのぼり、幹から違った方向へ向けて進んでみると、その方向には現代の造形として多くの可能性が残されていると考えるからです。
うるしという存在に気がついたのは、それは私たちが生きている現代について思うところがきっかけです。現代は物を大事にしない時代です。表現の世界もそれにならっていると感じます。表現が優先して、それが何で出来ているのか意識しないことも多い。そのなかで、素材を大事にする工芸の造形に強く惹かれ、中でも多種多様な表情を持つうるしの手法に惹かれたことが大きいのです。
扱ってみて感じるのは、うるしの物質としての強さです。そして漆芸という洗練された手法も奥が深く、この両者の関係はとても面白いものです、しかしながら私が求めていることからするとこの両者の関係は手法の方向に偏ってしまっていると感じることもあり、つくられすぎた手法を一度解体して、物質としてのうるしが持つ造形への可能性を追求しているところです。
私の作品もまた、それ自体で系統樹を形成する数と時間を経ています。過去、具象の形を制作途上で変形させるところから始まり、抽象化し、そして具象の主題を与えてさらに変化させてきました。それが私の制作の歴史です。扱う物質はかえずに、それ以外はどんどん変化させてきたのです。
今回の作品群は今までのその流れからはやや違った場所にあります。それはこの茶室とともに活きる造形を考え、実践したからです。純粋に私の造形を考えただけではありません。茶室にあるということを考えた造形です。それらは植物が上へ伸びていこうとする形がもとになっています。
私は勝手に植物の意識は本来まっすぐ上をめざしたいのではないかと思うことがあります。思い通りに伸びていったら、定規のようにまっすぐになってしまうのではないかと。しかし多くの状況がそのまっすぐに変化を与えます。光の方向、風、水、根を張るべき場所、自分自身の花や葉、実の重さなど、たくさんの事が重なって直線よりずっと複雑な魅力のある曲線を持ちます。
美術館の中にあって茶室を具現化する建築技術は素晴らしいものです。しかし茶の場をたのしむには空間が思い通りにありすぎ、まっすぐに感じました。もっと光の方向 風、水、根を張るべき場所 そんな変化が必要です。茶室内外の作品たちでそんな変化を与えてみようというのが今回の展示主題です。そのようなわけでこれらの作品に「風、水、根を張るべき場所」と題名をつけ、思う場所に配置してみました。
具体的な制作手法としては乾漆と呼ばれる古典技法をもとにしています。うるしと麻布を貼り重ねて形を作る、器や仏像に用いる技法です。樹液に近い生漆と呼ばれるうるしと米糊をまぜ、接着力を高めて麻布に浸し、繰り返して厚みをつけ強度を得ます。
通常は粘土や石膏型などに貼り込んで行くのですが、わたしの場合は原形の作り方に工夫があり、それによって「風 水 根を張るべき場所」と名づけるにふさわしいかたちを得るようにしました。かたちというのは面白いもので、観る者にとって目にしてすべてを知るわけでなく、想像でおぎないながらその存在を理解しようとします。
想像の部分とは見えぬ箇所や、素材や成り立ちの情報、かくされた主題なのですが、その想像の役に立つように作者はつくったものに関しての情報を題名や素材の表記をとおして伝えようとします。題名、主題、素材それぞれを伝えました。
原形の作り方はどうぞ想像していただけるよう、秘密にしたいと思います。
(こふしわき つかさ/漆作家)
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