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搬入を間近にしながら私のスタジオも頭の中も取り散らかした子供の部屋のような有様です。いやはや困ったものだと思いながらその散らかり具合の妙な心地よさにたっぷり酔っています。次々に送られてくるダイレクトメール。美術館や画廊の案内、通販の分厚いパンフレット、新しい商品の案内が毎日のように送りこまれてくるパソコンのなかには膨大なEメールとブラウザのお気に入り欄。猫の目のように更新されるWindowsのOSやドライバソフト、少しでも早く安い通信環境を求めて次々に破棄される契約。もう携帯端末だけでも何台買い換えたかと思うと気が変になりそうです。かく言う私は生物学的には折り返し点を超えたあたり、時折こんなマニアックな生活をいつまで続けているのだろうと不安が蘇るのですが、パソコンショップのチラシで新製品を眺めるともうたまりません。レジに並んでカードを握り締め「3回でお願いします!」と口走るのです。
うつけ、放蕩、たわけもの。神戸で震災に遭ってから益々人生観が変わってしまいました。巨額の財政赤字と少子高齢化の憂鬱にクヨクヨしながら貯蓄することや、チビチビ年金をかさ上げするのはもう止めました。酔い越しの銭どころかカードの払いをしばしば滞納して督促される始末。バグダッド・カフェで有名になったパーシー・アドロン監督の眠れる迷作、無数のカードに埋まりながらひたすら蕩尽を繰り返す「ロザリー・ゴーズ・ショッピング」の悪夢がよぎるのです。
ところがところが、こうして混乱と混沌を身にまとって幕らすうち、どうやら21世紀は体も頭も分裂状態で放っておくのが、よろしいのではと思うようになりました。ネットワークや雑踏のなかに否応無く解体されるアイデンティティーは、湖水に降り始めた雨が無数の波紋を描くように不連統な強さを発揮しはじめました。無理に西洋のものまねをして小さな自我に汲々とするくらいなら、酔拳の達人の如くしたたかに酔いどれて(酒とは限りませんが・・・)、大きなうねりに身をゆだねるのが得策かもしれません。
さて、2OO1年の萩美術館・浦上記念館のお茶室には、一幅の軸を作らせていただきました。関が原から大坂夏の陣。戦国の気風を色濃く残す江戸初期に生まれ、官僚化する武家社会に媚びて様式美に陥ってゆく狩野派〔かのうは〕から破門された久隅守景〔くすみもりかげ〕が、晩年金沢の地で描いたとされる傑作「タ顔棚納涼図〔ゆうがおだなのうりょうず〕」。タ顔の下でのんびり夕涼みする農夫の一家の主殿に、今回始めての試みとして、修復技術者の力と高性能コンピュータの力を借りて少し「ててら」(上着)を脱いでいただくことにいたしました。ガラス越しの空間には、バイオを駆使した水耕栽培の瓢箪がぶら下がっています。元禄〔げんろく〕から300年を超えてサイバーに蘇った夕顔は、遠隔操作のロボットによって世界中どこからでも水遣りができるようにさせていただきました。美術館と同じ町内のインターネットエクスプローラからも、地球の裏のネットスケープからも、貴方のポケットにあるiモードからも茶室の瓢箪に水遣りができます。源内〔げんない〕さんや若沖〔じゃくちゅう〕さんが生きておられたら、ぜひともこのお茶席にお招きし、新しい世界と古い世界が逆しまに戯れる様を御見せしたかったと思います。
招待アーティスト 椿 昇(つばき のぼる) |