私達は普段、一体どれだけ、世の中が本当に見えていると言えるのだろうか?氾濫する情報は確かに便利だが、それらが幾重にも覆い重なって、本当に見るべきものを隠してしまっているのではないだろうか—。
時は2000年。世紀末であり、また新世紀の夜明けでもある。そして世の中はかつてない混沌を呈している。私達は、何処へ向かおうとしているのたろうか?時代の過渡期とも言える今、茶室という空間を表現の場として与えられた。「黎‐REI‐」は400年に及ぶ伝統的精神の歴史を内包する空間への新たな試みである。
茶室とは、宇宙であり世の縮図であり、胎内であり、心の中である。そして、ここでの「茶」は、映像である。光と陰、時間と空間を凝縮したそれは、茶室の精神世界への誘導剤である。
堅い鉄板で閉ざされたこの空間を僅かに開けられた隙問から窺うことは、すべてが見えないもどかしさを感じさせるかもしれない。けれども、心の目を開いて、隙間の向こうを見ることが出来れば、魂は鉄板をすり抜け、もっと純粋にこの空間を感じることが出来るだろう。
今ここで、何らかの答えを提示するつもりはない。むしろ未だ、模素状態である。試みは始まったばかりなのだ。この一年間、常にこの空間を通して世の中を、そして自らを見つめていきたい。呆たして一年後、この混沌は、淘汰され、一点に集束していくのだろうか?それとも、更なる茶室世界の迷宮に迷い込んでしまうのだろうか?
(文;三輪和彦/撮影;田中学而) |